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2016年7月

2016年7月25日 (月)

一日一度も家の鍵を使わなかった。

一日一度も家の鍵を
使わなかった。

これはどういうことなのかといえば
一度も家から出なかったと
いうことです。

日曜日こんな事は初めてでしょう。

自分の家で一日中
過ごしたわけです。

でもねつまらなくはなかったのです。
映像と本とで
十分楽しんでいたように
思っています。

こうなってくると
外に出るのが
ますます億劫に
なってくることでしょう。

外に出て何が楽しい?

まあ私の方が
おかしいとは思いますけれども
これを経てまた何か新しいことへ
進んでいく事を期待します。

このままズルズルと
引きこもりの世界へ
なんて事になったりして。

まあそれも
まんざら悪くはないかな。

暗にポケモンGOに
けんかを売っていたりして。
あは。

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2016年7月18日 (月)

夢中になるもの。

ここへきて
夢中になるものを
見失っているようです。

だからよく
つまらないつまらないと
言っているふしがあります。

昔は何か常に
夢中になっているものがありました。

生活やお金に絡むことなく
夢中になれるものがありました。

最近では生活やお金の事が
まず前面に現われてしまって
夢中になれるものとの
乖離が激しくなってしまうという理由で
なかなか踏み込めないでいます。

実際に夢中になった所で
むなしさを感じてしまう有様。

そうすると
仕事の作業に夢中に
なっていることだけが
唯一心休まる事になれる
そんなようになってしまっています。

すべてはお金や余裕が
ない事に起因しているとも
思われます。

お金を使う事が
楽しい時期もありました。
夢中にもなりました。

でも小心者ゆえ
自ら引き戻る事を
課してそこから
退場いたしました。

夢中になることそれは
生活や稼ぎから切り離して
夢中になれる事が
あるかどうかなのか?

今そこの問いかけで
悶々としているようです。

自分だけが夢中になっていることで
幸せを感じられるのか?

夢中になっている事が
何かの対価を生んでくれるから
幸せを得られるのか?

夢中になる事に
厳しさや辛さや挫折は
必要なのか?

夢中になる事は
浮世離れしなければ
いけないのか?

そもそも夢中になる事が
なければいけないのか?

なんだかね
夢中になる事に最近
支配されてしまっているだけで
何にも進んでいないし
悩まされているだけ。

いつもそうですが
こうなってくると
私は時間が掛かります。

何かに没頭するまで
それが夢中になれることかどうか
実感するまで。

まあいろいろやっているようで
なかなか見つけられないでいる
そんな状況がまだまだ続きそうです。

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2016年7月11日 (月)

断捨離

断捨離ができるということは
それなりの資質が
加わったということ
のように思いました。

断:入ってくるいらない物を断つ。
捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。
離:物への執着から離れる。

これらの判断が
できるようになったということ
これらの行動が
起こせるようになったということ。

引き算が出来るようになれば
おのずと断捨離も
できるようになってくると思います。

もったいないということよりも
持っている事が気に入らなくなる
その事がとても気分を害するように
なってきます。

捨て去って
清々したい。

自分の気に入ったものだけを
そばにおきたい。
気に入ったものだけに
囲まれていたい。
そう強く感じてしまいました。

ちょっとした違い
ちょっとしたズレ
ちょっとした違和感
これらが我慢できなくなる
そこまで感覚が
鋭くなることは
とてもよいことだと
思いました。

まあ人間的には
他人から見たら
とてもつきあい辛い
人間でしょうけれどもね。

まあこの感覚
私はとっても
気に入っています。

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2016年7月 4日 (月)

自然な流れに任せる。

私はどうも自分では
どうこうする事が
出来ない人間のようです。

ふと何かにはまる
そしてそれに
とことん浸かる
飽きるまで
もういいやと思うまで
そしてまた何か
次のが見つかって
それにまたはまる
とことんはまる
この繰り返し。

今回は
ネットで観る映像です。
ここ何週間の週末は
そればかりで
映画にも出かけず
家に閉じこもりっぱなし。

本にも一切手を出さない
有様でした。

でもなんとかやっと
そこから抜け出せそうな兆しが
現われてきたかなあと
いった感じになってきました。

そして必ず戻ってくる所は
本を読むという場所。
やっぱりここが
一番居心地がいいか。

もちろんなんで
映像の方へいってしまったのか
といえば夢中になれる
本に出合えなかったから
出会えれば相変わらず
夢中になって
読みふけるのですけれど。

でも自分がそうなってみて
やっとわかりました。
若者がレンタルビデオや
ネットでの映像に
はまっているのがね。

何で映画館へと
足を運ばないのか?

旬のものを見ないので良ければ
レンタルやネットで十分なのです。

私は映画を観に行くついでに
街をブラブラ見て歩く
よしんば買物も出来てとね。

最近はこの買物が
とんと別にしなくてもと
なってしまいましたから
出て行く足が重くなってしまって。

そうなるとネットは
実に便利です。
はまってしまうのも
無理はないかもしれない。

でもこう考えるようになりました
映像を観てばかりでは
頭を使わなくなるとね。

本を読むと想像できます
映像でも感じることは出来ますが
なぜか時間を費やしている
だけの行為のように思える。

やはり映画館へ足を運んで
観に行っていた時は
楽しかったように思います。
五感で感じられるものがあったと。

PCの前で映像を観ていると
そういうようには感じられません。

まあそろそろ
次のステップへと
移り変わるのでしょう
こんな事を書いているのですから
もうじきまた次の変化へと
流れに任せるだけです。


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